仏教講師の針谷英樹です。

仏教に出会ったきっかけ

 私が仏教を聞くようになったのは、大学時代、
合格直後の新入生のときでした。
 サークルで仏教を学んでいた先輩から、キャンパスで
声をかけられたのが、最初のきっかけです。

 そのとき聞かせてもらった話が、
私の人生を、今のように大きく変えることになるとは
思いもよりませんでした。
 すべての人は幸せを求めて生きている。
 ところが、心の底から喜べる、ホントの幸福感を
 味わうことは、なかなかに難しい。
 それは、幸福といっても、2つあることを知らないから。

 一つは「相対の幸福」といって、
 誰かと比べて「あの人よりはまし」と優越感に浸ったり、
 自分の過去と比較して「あのときよりは恵まれている」と
 感謝する幸せをいう。
  例えば富や名声を得たときの満足や、健康であることの安心、
 家族や友人、恋人がいる歓び、旅行に行ったり美味しいものを
 食べたりする楽しみは、みなこの相対の幸福といわれるもの
 であり、悲しくもこれらは、
 続かないから「不安」が絶えず、
 キリが無いから「不満」が無くならない。
 
 死を前にしては無力で、真の人生の明かりにはならない。
 生きるためには必要なものだが、「このために生きている」
 という人生究極の目的にはなりえない。

 もう一つは、
 「人間に生まれてよかった」という、
 変わることのない歓びであり、
 「いつ死んでも悔いなし」
 という満足のこと、
 ひとたび得たならば、決して失う心配のない、
 大安心であり、大満足の幸せであり、
 いわば「絶対の幸福」である。

 人生の目的は、この絶対の幸福になることであり、
 お金や財産、健康などは、そのために大事な手段である。

 この目的と手段との関係、違いを明らかにして、
 本当の幸せになれる方法、
 人生の目的を達成するまでの道のりを教えられて
 いるのが、
 2600年前、ブッダ・釈迦の説いた仏教である。
 おおよそ、このような内容でした。

 それまで仏教との関わりといえば、
親戚の葬式や、お盆の墓参りくらいで、
それら仏事の意味も分からず、
寺院や僧侶の役割は、亡くなった人の供養をする
こととばかり思っていた私にとって、
はじめて聞く仏教の教えは、驚きでした。

 それは、明らかに「生きている人」を対象に
説かれているものであったからです。

生い立ち

 私は昭和44年に大阪の枚方市で生まれ、
3才のときに群馬に移り、高校時代まで過ごしました。
4人兄妹の三男で、兄弟げんかもしましたが、
冗談を言い合ったり、温泉旅行に行ったりと、
仲のよい家族の、恵まれた生活でした。
 
 放課後や休みの日は、友だちと缶蹴りや警泥と
いった、当時の子供ならおそらく全国どこでも
やっている遊びを、普通にやっていました。
 
 小学生の高学年から中学時代は、サッカーに打ち込み、
それなりに充実しているように思っていました。
 
 ところがいつの頃からか、時折、なんともいえぬ
 虚しさを感じるようになったのです。

家族6人で、いつまで一緒にいられるのだろうか。
 
なぜ人は死なねばならないのか。
 
楽しいことのあとに訪れる空虚感は、どうしたものか。
 
何かで、これを埋めることはできないのか。
 
心の底から、手放しで喜べる幸せは、どこかにないものか。
 
考えても分からず悶々としていました。
 
 そんなときに聞いた、当時流行っていたドラマ
『西遊記』の主題歌、ゴダイゴの「ガンダーラ」の
歌詞に共感、感動したのを覚えています。

 『西遊記』というのは、夏目雅子さん演じる玄奘三蔵という、
仏典の翻訳家が、孫悟空(堺正章さんでした)などお供を連れて、
中国からインドの天竺に旅をして、仏典を翻訳のために持ち帰る、
あの物語です。

再放送もしていたので、50代前後の人は、
ご覧になった方もあるかも知れません。

 

 「そこに行けば どんな夢も かなうというよ
  誰もみな行きたがるが 遙かな世界
  その国の名はガンダーラ
  何処かにあるユートピア
  どうしたら行けるのだろう
  教えて欲しい」

 

 「生きることの 苦しみさえ 消えるというよ
  旅立った人はいるが あまりに遠い
  自由なそのガンダーラ
  素晴らしいユートピア
  心のなかに生きる
  幻なのか」

ガンダーラ、ガンダーラ、、、と続く歌です。

 どこかに、苦しみのない理想郷はないものか。
 本当の幸せとは何か。

 どうすれば幸せになれるのか。
  
答えが出ないのは、まだ子供だからだろう。

 大学で学問を学び、就職して人生経験を積んでゆけば、
分かってくるのだろうと期待を抱き、
そのために、まずは大学合格を目指そうと、受験勉強に明け暮れました。

 そうしてようやく手にした、大学合格の歓びの最中、
聞いた話が、七千冊余りの『仏典』に、
ブッダが説く幸福感であったのです。

 15分ほどの短い時間でしたが、理路整然とした
納得できる話に、それまで抱いていた漠然とした思いを、
言葉で整理してもらったような爽快感を覚えました。
 
分からなかったのは、

「では、絶対の幸福とは何か」
「そんな幸福が本当にあるのか」

ということでしたので、
とりあえず、それがどんなものか分かるまでは、
続けて聞いてみることにしたのです。

 なんでも疑うところから始める、懐疑主義の私は、
疑問に思ったことを片っ端から質問していきました。
それに対して、先輩たちは真摯に答えてくれました。
内容によっては、理解するのに数時間にわたる質疑を
要することもありましたが、
決して、「なんだか分からないものを盲信する」
という類いのものではないので安心しました。
  
 実は、ブッダが説かれた経典自体が、お弟子や聴衆の
悩みや質問に、答えてゆかれる形式で説かれているの
です。

仏教講師の道へ

ハワイ・オアフ島 ブルーム教授のご自宅にて
右:アルフレッド・ブルーム教授
ハワイ大学名誉教授、英語圏の浄土真宗の権威
左:ジュリエット・カーペンター教授
同志社女子大学教授、日本文学研究者、翻訳家

 そのような、懇切な解説のおかげで、
仏とも法とも知らなかった私が、

ブッダの説く深遠な教えによって、
最高に幸せな人生を歩ませて頂いております。

 「絶対の幸福」とは、
「どこかにあるユートピア」などではなく、
「現在、生きている時に体験し、味わうことのできる満足」
なのです。

 先に述べましたように、大学に入ったのは、

「本当の幸福を知るため」

でしたから、その目的を果たした私は、一日でも早く、
1人でも多くの方と、この歓びを分かち合いたいと、
東京大学を中退して、仏教の講師(浄土真宗親鸞会・講師)になりました。

 せっかく大学まで入れてくれた両親には、思い描いて
いたであろう息子の将来像とはかけ離れた、
突拍子もない選択肢に、申し訳ない気持ちもありましたが、
なんとか許しを得て、進ませてもらいました。
生んで育ててくれたこと、そして仏教講師の私を今でも
温かく見守ってくれていることに、心から感謝しています。

そして北海道に


 仏教講師となって以来、約30年、関東、北陸、関西、中国など各所を回り、
アメリカでの布教を経て、昨年1月より、今度は
北海道の皆さんと、深くて広いブッダの教えを共有して、
ともに、心の底から喜べる人生を歩みたいと、
北の大地にやってまいりました。
  
 「私とは何ものか」
 「人はなんのために生きるのか」
 「運命は何によって決まるのか」
 「死んだらどうなるのか」
 「どうすれば本当の幸福になれるのか」

 などなど、ブッダの明らかにされた人生の真理を、
  
一つ一つお話してゆきますので、あせらず、じっくりと、
学んでゆきましょう。

なぜ、オンライン講座


 時あたかも、新型肺炎コロナウィルスの感染が拡大する
なかで、これまでしてきたような、一般会場での講座が
開催できなくなってしまいました。

 それならば、せっかくの文明の利器、ネット環境を
活かさない手はないと思い立ち、このような、
オンライン講座、という方法に切り替えた次第です。

 仏教というと、どうしても「難しい」「とっつきにくい」
というイメージが先行するかも知れませんが、心配いりません。
 
 皆さんに、お分かり頂けるまで、とことん、お話を
したいと思っています。質問大歓迎です。
ぜひ、申込みをお待ちしています。
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