ゼロから分かる仏教教室の講師、中本 英です。
なぜ、仏教講師になったのか。
北海道で講座を開催しているのか。
自己紹介をかねて お答えしたいと思います。
仏教との出会い
経済復興と東京オリンピック、やがて大阪万博にむかう、昭和30年代なかばに生を受けました。
岡山県と隣接する山間部の生活は、自然と共に暮らす毎日でした。
しかも、六人兄弟、親子3代が暮らす実に、にぎやかな日々でした。
幼少より、よく、祖母の部屋で話を聞いていました。
毎日、仏前で 「正信偈」をあげる祖母の背中をみて大きくなりました。
ところが、私が高校3年のとき祖母は、逝ってしまいました。
葬儀に参列し、必ず逝かねばならない現実を突きつけられました。
その後、家族そろって、毎日、「正信偈」と「白骨の御文章」を唱和しました。
「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身」とは、強烈でした。
今は、みな元気に過ごしていても、どんなに、にぎやかな家族であっても必ず、「別れ」はやってくる・・・
何と、人間とは、悲しい存在か・・
生きれば、生きただけ、そこに近づくとは、 如何に厳しい現実か・・
その思いは、日に日に強くなりました。
丁度、そんな時に「正信偈」「歎異抄」の中身を聞くご縁に出会えたのです。
驚きました。
これが「正信偈」「歎異抄」の意味だった!
そこに明示された「無碍の一道」こそたとえ、すべてに別れる日が、来ても崩れぬ幸だと、知らされました。
なぜ仏教講師の道へ?
仏教には、「なぜ生きる」が明示されていたのか。
これは、自分だけではない、みんな背負っている課題です。
すべての人が、知りたい・・と求めて止まないことなんだ
私自身が、仏教を誤解していたように周り中の人も「仏教」と聞けば
「死んでから用事のあるもの」としか思っていません。
一番大事な「なぜ生きる」が明示されているなんて、誰も知りません。
想像もしていないと思います。 自他ともに、この「仏陀の智慧」に触れる布教使の道に進みました。
どんな志で、北海道で講座に立つのか
北海道開拓の歴史は、本州の中でも特に「仏教」が盛んであった県、町からの入植でした。
明治の「あの熱さ」が、今もなお広がる北の大地は、私には大変、輝いて見えます。
普段、まったく「仏教」と関わりが無い、青年、壮年層の方にこそ「仏陀の智慧」に触れて欲しいのです。
なぜ、オンライン講座
時あたかも、新型肺炎コロナウィルスの感染が拡大する
なかで、これまでしてきたような、一般会場での講座が
開催できなくなってしまいました。
それならば、せっかくの文明の利器、ネット環境を
活かさない手はないと思い立ち、このような、
オンライン講座、という方法に切り替えた次第です。
仏教というと、どうしても「難しい」「とっつきにくい」
というイメージが先行するかも知れませんが、心配いりません。
皆さんに、お分かり頂けるまで、とことん、お話を
したいと思っています。質問大歓迎です。
ぜひ、申込みをお待ちしています。
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